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当たる四柱推命 実は運が良かった野村克也さんの命式

2020/03/17
 
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森さん
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今回は野村克也さんの命式を見てみます。

元プロ野球選手の野村克也さんが亡くなられました。野村克也さんは野球選手というよりも監督としての方が印象が強いという人の方が多いかもしれません。僕も現役時代は知りませんが、頭脳を使ったキャッチャーであり、日本のプロ野球選手の中でも通算ホームラン数は王貞治選手に次ぐ2位です。あの張本勲選手よりも山本浩二選手よりも清原選手よりも松井秀喜選手よりも打ってるんです。選手兼任監督としてプレーしていたこともありました。

監督としても大活躍されていました。1970年代は南海ホークスの監督をされていたんですが、監督を辞めて、その後しばらくはテレビなどで野球解説者をしてました。野村スコープというものを使って、投手の配球などをズバズバ言い当てて凄腕の解説者として名をはせました。監督としては1990年からのヤクルトの監督として球界に戻ってこられてからの方が、皆さんよくご存じだと思います。僕は広島カープファンなのですが、野村さんがヤクルトの監督をされていた時は本当に手ごわい人が入っちゃったなあと思っていました。ヤクルトはその少し前までは弱小チームだったのですが、野村さんが監督をされてからどんどん強くなってしまったんです。野村さんが監督になった年はリーグ5位、2年目3位、3年目に優勝しています。

●野村克也さんの命式●

野村克也さんの命式です。

  • 年柱 乙 亥 印綬 絶
  • 月柱 壬 午 偏官 帝旺
  • 日柱 丙 子    胎

2012年からの大運は偏印でした。

日干です。丙の人は明るく楽天的です。競争意識が強いです。その場の中心人物になる人が多いです。個性を大事にして平凡な生き方を嫌います。頭の回転が速いです。古い伝統よりも革新的な考え方が好きです。丙の他の有名人は麻生太郎さん、いかりや長介さん、志村けんさん、さだまさしさん、坂上忍さん、新海誠さん、阿川佐和子さん、上戸彩さん、橋本環奈さんなどがいます。

月柱の午火と日干丙火月令を得ています。運が強いと見る事が出来ますね。

通変印綬偏官があります。印綬があるので頭も良いでしょうし、真面目にコツコツやっていける人ですね。偏官がありますので、ストイックに生きる所が出やすいです。プロ野球選手ですのでこの偏官は良い影響を得たでしょうね。しかも偏官は運動神経の良さも表します。

12運絶、帝旺、胎ですね。はよく大物芸能人とかその道のすごい人に表れることが非常に多いんです。この絶があると、不安定な部分があったり、職の部分でも転職が多くなってしまったり、安定しない生活をしやすいんですが、一度自分の武器となる物を見つけると飛躍的にその能力を伸ばしてその道で大活躍することが多いです。帝旺は運勢的には強いです。ただ、帝旺のある月柱の天干は壬水で地支が午火ですのでストレートに強くは出ないかもしれません。性格の部分でも普通は帝旺がある人はある程度はわがままで自己中心的な考えになりがちです。帝旺がある人は目標があるとそれに向けて全力で向かいますので、何か目標が常にあった方が運勢的にも良いですし、目標が無いとよくない意味での帝旺の性格(人に当たったり、暴力的になったり)が出やすいです。がありますので性格的には子供っぽい所があって、自由人的なところが出ます。自分の自由にさせてもらえないと気がすみません。また、この日柱の12運は恋愛相手のタイプと見る事も出来ます。野村さんは胎を表すような性格の人に惹かれます。

●野村克也さんの大運の巡り●

野村さんの立運は7歳です。この時の大運は正財でした。正財なので運気的には良い時期でした。正財は真面目で堅実な部分が多く出ます。この頃は野村さんは子供でしたのであまり関係ありませんが、大人になってからこの正財が巡ってくると財運も上がります。堅実に確実にお金を稼ぐ方向に行きますし、そういう運気が巡ってきます。この頃子供だった野村さんはこの大運の時期特有の生真面目さが目立っていたと思われます。この大運の時期は親に言われなくてもきちんと勉強をするような子供になりやすいです。運気も良く、何事もすんなりと行きます。ただ野村さんの命式から見るとこの時期は少し不安定さもあった時期でした。現象としては思い付きで当たりばったりで行動してしまい、失敗するというようなことが起きやすい時期でした。野村さんは幼いころから父親がいないため家庭が貧乏でした。しかも母親も病弱だったそうです。なのでこの頃からお金持ちになるんだという気持ちは人一倍強かったそうで、この頃の将来の夢はたくさん稼げるという事で歌手や俳優でした。しかし、地元出身のプロ野球選手へのあこがれから中学2年で野球部に入りいきなり頭角を現します。地方大会で優勝したりしていました。

1952年17歳の年に大運は偏財に入りました。偏財なのでとても良い時期です。財という字がつくように財産にも縁がある時期です。ただ、この時期に入ったお金は出ていくのも多いです。人との縁も恵まれますし、男性なら女性との縁も多くなります。この時期に高校生になり野球部にも入りますが、もともと入った高校の野球部が弱小野球部だったため、高校野球大会では2回戦止まりでした。卒業に際して、野球部の監督の推薦状のおかげでテスト生としてですが、南海ホークスに入ることが出来ました。当時南海ホークスはとても成績が良く、毎年のように優勝争いをしていました。野村さんは3年目にはもう一軍のキャッチャーとして活躍をしていました。この偏財の時期に野村さんはプロ野球選手として花開きます。プロ3年目の1957年22歳劫財の年にはもう打率3割越えで30本ホームランを打っています。その後も一進一退はありましたが毎年20本以上のホームランを打ち続けています。

1962年27歳の時に大運は傷官の時期に入りました。実はこの大運が野村さんにとっての冬の時期でした。傷官の時期ですので感受性の強さが悪い方に出る事になります。イライラしたりトラブルも多くなるでしょうし、トラブルには見舞われる可能性が高い大運の時期になります。ただ、この1962年も野村さんの成績はとても良いものでした。ホームランは初の40本越えの44本打っています。打率は3割9厘。この後も野球の成績は絶好調です。ただ、この大運の頃から南海ホークスに入ったころの監督だった鶴岡一人さんとの関係が悪化していきます。私生活では1968年頃には一度目の結婚相手の女性と別居状態になります。(のちに野村さん本人が妻に浮気されたため、自分はその後の妻の野村沙知代さんとの付き合いが始まったと語っています。)沙知代さんとの出会いは1970年の事でした。その後二人は(野村さんがまだ結婚状態だったため)愛人関係となります。野村選手自身の成績は相変わらず良かったのですが、チームは戦後初の最下位も経験しています。1969年34歳の年(年運傷官)には野村さんは選手兼任監督になります。ただ、1972年大運は変わっていますが、37歳、偏官の年に何人かの選手が野村さんのやり方を批判して大きなトラブルも経験しています。選手としての成績を見るととても良い時期だったようにも見えますが、この大運の間には野村さんはたくさんの人とのトラブルが発生しています。本人にしかわからない事ですが、精神状態はとても苦しかったのではないかと想像できます。

その1972年37歳の年に大運は食神に変わっています。食神の時期ですので基本的には良い大運なのですが、この食神は野村さんの大運にとっては少し注意のいる時期です。この大運の時期はつい突っ走ってしまって失敗することが多くなります。良く考えないで行動してしまったり、選択を誤るという事が減少としては出てきます。この大運のさなか、野村さんは選手兼任監督を続けていましたが、沙知代さんが選手たちへの口出しが原因で(あの選手を使うなとか野村さんに言っていたそうです)選手たちとのトラブルもたびたびあり、1977年には監督を解任されたりもしています。1978年43歳の年には前妻との離婚がやっと成立して沙知代さんと結婚しています。年運食神の年でした。(食神の年も男女ともに結婚に縁のある年ですね。)

その後野村克也さんはロッテや西武などを渡り歩き1980年45歳、年運偏財の年に引退します。

その後は1981年からテレビやラジオの野球解説者として活躍します。

1982年47歳の年には大運は劫財になりました。今まで敵が多かったり余計なトラブルに巻き込まれることが多かった野村さんですが、大運劫財の時は仲間と一緒に何かをやることに縁がある時期ですので、この時期は敵も現れず年齢も関係なくみんなと楽しく仕事が出来たんではないかと思います。まずプロ野球の世界から解説者の世界に環境が変わっていますので、人との軋轢(あつれき)も少なくなっていたでしょうし、野村さんを慕ってくる人も多かったと思いますのでその点でも大運劫財の特徴が良く出ていたのではないかと推測します。この時期にはたびたびのプロ野球チームからの監督要請にすべて断っています。この点も劫財の時期の敵を作らず、みんなと対等な関係を築く劫財の力が働いていたのでしょう。しかしあと2年で大運が変わるという1990年にヤクルトからの監督要請を受け監督に就任しました。この頃には次の大運の影響も出始める頃ですので次の大運の比肩の影響も出始めていたのかもしれません。比肩は新しい世界への出発を表します。また、自分の意見を大事にしたい、自分の力を出し切りたいといったような気持ちが強まりますし、現象もそういった現象を引き寄せてきます。この次の大運の比肩も野村さんにとっては吉凶混合の時期でした。起きる現象としては自分がしたいことに邪魔が入るといった感じでしょう。また、比肩の悪い部分、自分勝手になる。自分の意見を押し通したくなるという部分も出やすくなります。

1992年57歳の時から大運が変わり比肩となりますが、この年にヤクルトはセントラルリーグで優勝します。年運は偏官でした。その翌年1993年には日本一になりました。1998年にヤクルトの監督を辞めますが、ヤクルトをとても人気のある強豪チームに作り変えました。

その翌年1999年傷官の年からは阪神タイガースの監督に就任します。しかし、阪神タイガースでの3年間は3年連続の最下位でした。(その後この時代に野村さんの育てた選手が活躍して星野監督のもと優勝を果たします。)

2002年67歳の年から大運は印綬に変わります。印綬の大運の時期は古い伝統的なものに縁があったり、学問やプライドにも縁があります。また穏やかな時を過ごす時期です。この年67歳でした。この年に社会人野球チームのシダックスの監督になります。ここでも野村さんの手腕が発揮され、翌年の社会人野球の大会で準優勝します。

2005年、年運印綬の年にシダックスを辞め2006年の比肩の年から楽天の監督に就任します。楽天では戦力的には厳しいものがありましたが、1年目は最下位でしたが、2年目にはチーム創設以来初めて最下位を脱出して4位に。2008年には5位、2009年にはリーグ2位に躍進しました。クライマックスシリーズでは日本ハムに負けましたが、球団創設以来初めての2位という好成績を収めます。この2009年を持って野村監督は退任され、もう2度とユニフォームにそでを通すことはしませんでした。

その後はまた野球解説者として活躍します。

2012年77歳の年から大運は偏印になりました。偏印の時期は印綬と同じく知性を表しますが、偏印の方はどちらかというと芸術方面に強くなりますし、そういったものを引き寄せます。また、だらも思いつかないようなアイデアを思いついたり、芸術や芸能の世界の人にとってはとても良い時期となります。それ以外の世界の人もそういった能力が高まる時期ですので、アイデア勝負や芸術面での勝負が運を引き寄せることになるでしょう。また、偏印の時期は今までやっていたことを急に辞めたり、今までとは違う世界で生きたりすることも多くなります。

野村さんは晩年は体調不良も多くなりますが、日本各地で講演やイベントにと活躍されます。2020年2月に野村さんは亡くなりますが、野村さんが築いた野球理論は今のプロ野球チームの監督や選手に引き継がれています。日本の野球がここまで強くなった一つの原因には野村さんの存在があったのは間違いありません。

●まとめ●

さて、野村克也さんの命式と大運を見てきましたが、野村克也さんの命式自体がもともと運の強いものであったのは野村さんがここまで活躍された一番の要因だったように思います。月令を得ている日干丙火で確かに月柱壬に剋されてはいますが、乙もあるので壬水、乙木、丙火とうまく回っています。通偏も学問の印綬体力の偏官と野村克也さんの野球らしい通偏です。その後ろには12運が印綬にはが、偏官には帝旺がついています。野村さんの才能を爆発させた絶が印綬を後押しして、少しワンマンにはなるでしょうが、帝旺が偏官を後押ししているのでさらに強いですね。野村克也さんは歌手になるのも夢だったと言いますが、この命式なら四柱推命をする人なら絶対野球をお勧めすると思います。

大運の方は、17歳からの大運偏財が大きかったです。この時期、人に対してもお金に関しても縁のある時期に高校の野球部の監督にプロの野球チームに推薦状を書いてもらい、南海ホークスには入れましたし、活動量も偏財の時期は増えますので野球選手にとってももちろんとても良い時期です。野村選手は若くして大活躍しました。

次の大運は悪い大運でしたが、もうすでにプロの世界で活躍していました。この悪い大運がもし、17歳の頃にやってきていたらプロ野球選手にもなれていなかったのではないかと思います。この27歳からの大運の間に野村さんは元妻の浮気や自らの不倫、かつての恩人との不仲、チームの仲間との対立などを経験しました。悪い大運は避けられるものではありませんが、事前に知っていれば最小限に被害を防ぐことも出来ます。この時期はあまりリスキーなことはしてはいけません。

その次の大運は食神です。食神はゆったりと過ごすのが合います。衣食住や男女の縁も高まる時期です。忙しくすると悪い面が強調されてしまいますし、体と心もついていけません。野村さんも選手と監督を両方されるのはこの時期としてはあまり良くない時期だったかと思います。

最後に楽天で監督をされたときの大運は印綬でした。(2002年からの10年)年を取られて野村さんも丸くなられてちょうど印綬の穏やかで、今まで培ってきた野球の理論(学問)を使う事が出来て、ちょうど印綬とうまくマッチングしていて、とても良い時期だったのではないかと思います。四柱推命の理論と自然とうまくはまって、運勢的にも良かったんではないかと思います。

こういう風に大運に沿った生き方をするのが四柱推命のうまい使い方であると思います。もちろん野村さんはそんなこと知らずにやっていたんでしょうが、四柱推命を知っている人はこういう風にその大運や年運の時期に合った生き方をするのが、運勢を上げる生き方だと言われています。皆さんも一緒にチャレンジしてみましょう。

それではこの辺で。

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四柱推命士の森が皆さんと一緒に幸せになろうと楽しんでいくブログ。 メルカリでも占い始めました。お気軽にお声かけ下さい! https://www.mercari.com/jp/u/247955093/ コメントをくれた方、申し訳ないです。いままでアイフォンに転送してたんですがフィルターにかかっちゃって届かなかったんです。(フィルターはもう解除しました)

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